日時:2026年4月18日(土曜日) 午後1時30分〜3時30分
会場:A会場 京都女子大学、杉本家KOMEGLAキャンパス
参加者:24名
講座概要:
「考える」とは、「思考」とは何なのでしょうか? デカルトは「私は考える、だから私は存在する(Cogito, ergo sum. / Je pense, donc je suis.)」と書きました。(これは有名な言葉ですが、落ち着いて考えてみるといったい何が言いたいのか、よく分かりません。) ハイデガーには「考えるとは何のことなのか?(Was heißt Denken?: Vorlesung Wintersemester, 1951-52)」と呼ばれる有名な講義録があります。他の哲学者たちの思考も、多かれ少なかれ、言い方はさまざまに異なれ、そもそも思考とは何かという問題に触れてきました。
思考は「論理的」であるべきだと言われます。「お前の考えは理屈が通っていない」というのは「お前は間違っている」という意味です。この場合間違っているのは思考を表現する言葉なのでしょうか、それとも思考そのものなのでしょうか。思考は自分の意思で自由に作り出せるものではありません。思考は身体から湧いてくるもので、「どうしてもそう考えてしまう」のです。だとすれば、思考が間違っているということは身体が間違っている? そんなことありうるのでしょうか。
最近の小中学校では国語を「論理」と「文学」に分けるという、奇怪なことが行われているそうです。「考える」ことと「感じる」こととは分けられるのでしょうか。論理に感性は不要であり、文学には論理はないのでしょうか?
思考とは何か? と考えること自体もひとつの思考です。このように思考という問題は自己言及性を伴うために、深く考えてもムダだという気分もします。ああメンドくさい、思考とは要するに問題解決のための情報処理のことでしょ? と短絡する人も少なくありません。今日私たちは、人間よりもずっと論理的で、膨大な情報処理を超高速に実行するマシンに取り囲まれています。だから思考なんて機械に任せておけばいいとも思えます。この、思考なんて機械に任せておけ、というのも思考です。
次回は「思考」について、現代的環境を踏まえて思考することを試み、それを通じて、哲学とはそもそもいかなる活動なのかを考えます。(吉岡 洋)